おがたかお の 塊

生きる最速の文章たち

共生

生涯を捧げても許されない罪や解決されない問題は、後世に引き継がれるしかない。

それはいつも苦渋の決断だと思う。この蝦夷地においても先人が子どもたちにも背負わせてきたその争いの歴史も、どこかで終わらせなくてはあまりにも重たく、明るく軽やかな未来の足かせになっていくだろう。

私は開拓使に共鳴する。私はいわゆるアイヌ民族でも縄文人でもオホーツク人でもない。あえていうなら生粋の道産子だし、本州からやってきて森を切り開いた人たちの子どもだ。簡単に北海道といえばアイヌ!と言える感じもしない。なぜなら圧倒的に知らないからだ。学校ではほとんど教えてくれない。私は京極町に生まれて、水の美味しい観光地で育った。そこにあるアイヌ的な要素といえばワッカタサップやペーペナイ、オロッコなどの川の名前や地名くらいかもしれない。

小学生の時は、アイヌの方はもうほぼいないと聞いた。大人になって実際にアイヌの方々と出会う中で様々な社会的な意識とぶつかることが多くあった。なかったことにされる歴史、差別、謝罪の方法、文化の保護、神々の扱い、思想世界観、あらゆる側面で「私たち」と「アイヌ」の間で断絶があって。お互いの無理解による切ない行き違いがめちゃくちゃに横たわっていて。正直、勉強していくなかでかなり感情的になってしまったり精神的にキツい日もあった。

開拓使は、圧倒的な加害者なんだ。北海道150周年の今。改めてその所業の様々な側面が問われていると思う。

私が北海道の歴史に触れ、一番に思ったこと、伝えたいことはアイヌ開拓使だって仲良く共生していた時間や場所がたくさんあったんだよ、ということだ。殺しあっていたシーンばかり取り上げて残酷物語にすることは何もないでしょう。つまり漫画ゴールデンカムイは偉い、ということ!(まだ4巻くらいまでしか読んでいないけれど…)

 

これから私は北海道の地方で観光業に携わり、世界中の必要としている人にこの大地の持つエネルギーをお渡しする、感じていただく仕事をしたい。というかしていくと思う。もう少し先の未来。だけどすでに始まっている私の物語。2018年夏、しばらく離れていた地理や歴史や社会情勢の勉強に戻ってきて。やっぱりこれらに向き合うには体力も精神力も本当に持っていかれるし「面白い!」とか喜んでいるだけではいられない事情が見えてくる日は渦中に巻き込まれそうになる。だけど必要な時に必要な知識を得ている感覚はあって。もう何も無理はしないし自分から暗部に触れることもないけれど、きっと全てよくなっていく。それが私の知っている宇宙の真理だし、幸せな結末をあきらめることはもう感覚的に出来ない。

11月3日、北海道博物館に行く予定。マレウレウさんたちのライブがあるから。

アイヌアートプロジェクトの方々が現代風にアレンジした音楽をやっていることになんとなく疑問が10年前にはあって。だけどなぜか逃げてはいけない気がして積極的にライブに行っていた。でも正直、辛くて。帰り道には悔しくて泣いていた。何が悔しいかといえば。私が純粋に彼らのパフォーマンスを楽しめない、開拓使の子孫としての自意識が。私個人のアイヌの文化が好きだという意識とは別に植えられた後ろめたさが。なぜ今も罪悪感を持ってグルグルしなくてはならないのかと。それはもう毎度ぐちゃぐちゃと。

北海道大学には貴重なアイヌ研究資料があり、だれでも読むことができた。相手を理解し敬意を払おうとする方々の人生を見られる素晴らしい資料だった。とある一冊の後書きで体が悪くなり第一線を引退する作者が簡潔な文章で記す遺憾の念。私はいたたまれなかった。人生をかけても。決して足りることなどなかった。自分が泣いて謝罪したからと言って許される事案などないし何を知っているのかとも思うけれど。なぜ?なぜ今も?どこかから悲鳴が聞こえてくる。助けて!空から大地から海から、自分の内側から。無視することができない鋭く大きな刃が世界を襲い続けて。こんな風に一生怯えて暮らすなんて絶対に嫌だ。

 

近年、私もずいぶん柔らかくなった。昔のような激情も減った。周辺も何もかも穏やかになりつつある。

地震が起こって、電気が消えて、星が見えましたね。

きっとこれから、より素敵な未来が待っている。私のできる限りを世界に輝く光に捧げたい。読んでくれてありがとう。同じ時代に生きるあなたへ。