おがたかお の 塊

物語をはじめよう

感覚クオリティ

世界を感じていく。
死も病気も快復も、争いも悲しみも喜びも何もかも、生きているからこそ「在る」。
認識が消えない限りは永遠に感じ続けて何らかの表現を受け、自らも発信していくしかないのだと思う。

絵を描いていく時に「なぜ描くのか?」「何を描くのか?」
自分の知る選択肢からより適切なものをあてがって制作するだろう。
表現に意識的になり、コントロールしたりあえて意味や自発性をも放棄する。
平面に落としこむ理由を探してもいいだろうし、深く考えず身近な手法を使うのもいい。
自由に色を出して、塗ったり消したり重ねたり削ったり。
3次元の身体から2次元に答えを求める。いや、疑問符を託す。
理想を掲げ、悪を体現し、絶望と一緒に希望も共存させる。
溢れ出る意欲、衝動、静寂から作業を淡々とこなす。
神話だったり、生活から来たり、夢からインスパイアしたり。
何でもありみたいに思うけれど、「私」がそれをする説得力が欲しくて考える。
床屋に生まれた作家はハサミを鍵にして切り絵に挑む。
虐待され育った作家は暴力を糾弾する。
事象があり、結果がある、因果関係に縛られて私たちは判断するだろう。
法則を無視してまったく新しい何かを発想することもできるかもしれない。
けれど、理由について語れることがあるかないかで周囲の人々を納得させられる素地も違うと感じる。


働きながら細々と作品発表していくライフスタイルを確立した。
私は売れる絵でもないし、他人に望まれて描いているわけではなかった。
自発的にできる限り充実した時間を過ごしたくて、暇を使っては増える作品。
働きながらなら、社会的地位も持てるし、安定した収入も得られる。
専業作家にはなれなかったけれど、有名になりたい気持ちが薄れた今には何もかも丁度良かった。
感じたことが作品に反映される。
今日は調子がいい、もっと描きたい、いい絵にしたい。
うまくいかない日の方が多いけれど、特別なラッキーデイ。マジックアワーな無敵感を知って
いるのでとにかくそれを待っている。
芸術の女神は芸術に触れる者全てに本当は微笑んでいて、気がつけないだけの盲目的創作活動なのか。もしくはもっと個人的な感情で制作をしているのか、ユニバースに委ねて「私」など関係なく行動しているのかもしれないし。

絵を描く理由は、好きだからじゃないのは確かだ。
新しいモチーフや技法を思いつくと楽しいし、難しいことに挑戦するのも面白い。
けれど、白い面と向かい合うのはなんとなく孤独だし寂しくて。
一方で考え方次第という気もしていて。
自分が創造することによって、向こう側に新しい友達もできて、寂しさは消えるならいい。
世界を感じている。
何も描かなくとも満足なら良かった。
といいつつ、描いている自分に満足していたりもする。
作品が増える、発表する。
クオリティがあがらないのが悩ましい。
丁寧に。しかし大胆に。爽やかに。
爆発しそうだった昔とは違って、今はもう穏やかに考えを巡らせる。

「なぜ描くのか?」
時間があって、すでに経験があるから。

「何を描くのか?」
自分でも予測のつかない、感覚でいいと思えるものを。
生命体、魂、精神、目に見えない何か。


まとめてみたがわからない。すみません。刻一刻と変わる気持ちや状況で生きる。
今に意識的に、感覚を信じてやっていくのだ。